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八幡掘りと八幡山

平和な町づくりに情熱を燃やした武将 豊臣秀次

1585年、18歳にして近江43万石の領主に任ぜられた豊臣秀次は、信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開きました。自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行、城の防御である八幡堀を琵琶湖とつなぎ、往来する船を城下に寄港させるなど、秀次はわずか5年の八幡山城在城の間に、商いのまちとしての繁栄の基盤を築いたのでした。若くして悲運の最期を遂げた秀次ですが、近江八幡の開町の祖として市民に慕われており、彼のまちづくりにかけた情熱は、今日、八幡堀や町並み保存運動をはじめとする歴史を生かした近江八幡のまちづくりに受け継がれています。
八幡山写真

八幡山と八幡山城址

翼が羽を広げたような姿に見えることから鶴翼山(かくよくざん)とも呼ばれる八幡山。1585年、この山に築かれた八幡山城は豊臣秀次の没後まもなく廃城となり、当時を物語るものは、石垣のみとなっています。
八幡掘り写真

八 幡 堀

かつて湖上交通の要衝であった八幡堀も、桜や花菖蒲が植えられ、市民や観光客の憩いのプロムナードになっています。季節ごとに変わる岸辺の光景を楽しみながら、のんびりと往時の風情を感じる事ができます。


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